イタリアの光と影と人々

 

                     岡 惠介  アレン国際短期大学教授

 江花道子は、北海道函館生れの画家である。1963年、日本大学在学中に独立賞を受賞し、1967年にはイタリア政府給費留学生となってローマ美術アカデミアに編入し、以後現在に至るまでローマで制作を続けてきた。
 1985年から日本で個展を開くようになる。それまでの20年間、画家は異国の地で恋をして結婚し、通訳など様々な仕事をしながら夫の学業を助け、子どもを育てあげてきたらしい。しかしその中でも日々の暮らしに埋没することなく、絵が描きたくてたまらず、画家でありつづけてきたであろうことは、絵の中に感じ取れる。油彩画は明るく優雅な色彩が、ある部分はこってりと、またある部分は滑らかに、あるいは降り注ぐように配された上に、人物の群像や背景の建物が点描で溶け込みそうに、あるいは浮かび上がるように描かれたものが多い。ここ数年は、目を傷めたために医者に油彩を描くことを禁じられたこともあって、水彩画が多くなってきている。しかし今年の個展でも依然として油彩の作品を発表しているところに、この画家の絵にかけた執念が伝わってくる思いがする。
 線描の人物は音楽を奏でている場合が多く、古楽器をたしなむ画家が愛するバッハの曲が絵の背後に流れているようである。こう言うと、どうしてもデュフィとの関連を思ってしまうのだが、江花の場合その違いは線描の人物の生々しさにあると思う。江花は、「本当は人物画を描きたい、風景がうまい人はたくさんいる」と言う。しかし今回の個展では水彩画が多くなってきたこともあってか、かなりしっかりと構成した風景を描いたものが多数あり、その中に人物を描き込んだものが多かった。どうやら近年の作風の変化として、これまで部分的であった風景や建物が、徐々に空間的に構成され、しっかりと描かれるようになった点をあげていいように思う。しかしそれらの風景の中に描かれた人物が、必ずしも点景の人物になっていないところが興味深い。人物が生々しく何かを主張し訴えたり、あるいはデフォルメされて動的であるために、時として風景に溶け込まない絵が、実は妙に印象深い。見方によってはそれを破綻ととるかもしれないが、私はそうは思わない。ただ美しいだけの絵には飽き足らない画家の、美しい風景や町並みに棲む人々の人間性への深い観照が、そこに表出していると思うからだ。今回も楽器を演奏する音楽家を江花が素描した古楽器の演奏会のポスターが参考に展示されていたが、その人物描写の素晴らしさには圧倒された。今後もこの人物描写へのこだわりをつきつめていってもらいたい。
 人物が風景に溶け込んでいる作品ももちろん多い。画家が「希望」と呼んでいる絵もそれである。その名の由来は、毎朝画家が暗いうちからイーゼルを立てて日の出を待っているのを老婦人が「ここはよくアメリカ人やイギリス人が何時間も粘ってゴンドラや教会・島を描いている場所だが、あなたが描いているのは[希望]でしょう」と言われたというエピソードによっている。画家によればこの絵は、少しでも心の乱れや空腹感や名誉心があるとだめ、かといっておなかがいっぱいだともっとだめだという。精神を集中させて、一気呵成に仕上げなければならない絵なのであろう。ある意味では東洋的な方向性を感じさせる。
 さらに水彩画に力を入れていくであろう江花が、さまざまな方向性の狭間にあって、今後どのようにイタリアの風土を描いていくかのかを見守っていきたい。

                        「展評」014/2003掲載       

    koten
     


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このページは、 2003.3.2にアップデートされました。
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